信濃三十三カ所巡り1

 カソリングの霊場巡りを読みながら、いつかは地元の霊場巡りをしようと思っていたので、快晴の今日、いよいよやってみることにした。

 信濃三十三カ所めぐり(信濃三十三観音札所めぐり)のホームページなどを見て参拝の方法や巡り方を調べてみたが、こうしろというものを見つけられなかった。まあ、調べ方が甘かったからだけれども、とにかく行ってみることにした。

 ネットで調べてみてわかったこともある。三十三カ所めぐりとは、観音様をお参りすることで、観音様もいろいろいらっしゃる。それぞれに真言というのがある。また、信濃三巡三カ所は順打ち(札所の番号順に巡ること)が難しいということだ。

 ノートに、上記ホームページから観音様はなんで、場所はどこなのか、そして真言をメモし、何と言ってお参りするのかわからないので、真言を唱えることにした。順打ちが難しいと書かれていたのだが、順打ちをすることにした。まあ、何日かかっても構わない、急ぐ理由もない。バイクなので行ったり来たりもそう苦にはならない。

 第1番札所から第3番札所は麻績村近郊。国道403号で聖湖を越えて麻績村へ。
▲千曲川展望公園から50mほど麻績村よりのところからの眺め

▲千曲川展望公園から50mほど麻績村よりのところからの眺め

▲聖湖

▲聖湖

 麻績村に入ると車は松本ナンバーになる。長野市からそう離れていないのに、アウェイ感が漂う。国道から県道12号を右に折れると、宿場の面影を残す通りになる。
▲麻績宿の面影が残る県道12号沿い。左手に見えるのが本陣跡

▲麻績宿の面影が残る県道12号沿い。左手に見えるのが本陣跡
第1番法善寺(ほうぜんじ)

 本陣跡を右に折れると第1番札所の法善寺がある。静かな山間の山寺だが、立派なお堂がドーンと見えてきた。それもそのはず、江戸時代には年八石を賜る御朱印寺として将軍家の保護を受けていたという。本尊は聖観世音菩薩だ。
▲法善寺本堂

▲法善寺本堂
第2番宗善寺(そうぜんじ)

 第1番札所が立派だったので、これから巡る寺院もさぞ立派なものだろうと思ったのだが、法善寺から500mほどのところにある第2番札所の宗善寺は、明治の廃仏毀釈で廃寺となっている。そのため本尊の十一面観世音菩薩は、本陣臼居家が代々自家に安置してきた。平成8年より法善寺に遷座していたが、平成12年村宝に指定されたのを機に、村民の寄進により新しい六角堂が建立され、現在の地に安置されるに至ったのだという。立派な六角堂に収まっていたが、寂しい経緯である。
▲静かな林間に設けられた法善寺六角堂

▲静かな林間に設けられた法善寺六角堂
第3番岩井堂(いわいどう)

 さらに第3番札所の岩井堂は、その名の通り観音堂だけが建っている。駐車場だけが整備されているが、そこまでの案内板も、そこからの案内板もない。さすがに観音堂の前には案内板があるが、もしなければ空き家になった民家にしかみえない。寂しい限りだ。ゴールデンウイーク真っ只中だが、特に尋ねる人はなさそうだ。僕が訪ねると近所の犬にワンワンと吠えられた。
▲岩井堂

▲岩井堂
第4番風雲庵(ふううんあん)

 第4番札所風雲庵は松代になる。県道55号で坂上トンネルを抜けて千曲市戸倉上山田温泉へと抜けた。ここで湯につかろうと思ったが、今日は暑い。とりあえずパスして、屋代駅前を通り国道403経由で松代へ。もうすぐ市街というところで右に折れ集落外れの風雲庵へ。

 風雲庵は、川中島合戦の戦勝を祈願する武田信玄が、寺地を寄進し、戦乱で荒廃した古寺を再建したものと伝えられている。このあたりでよく見かける、山の斜面に建つ寺だ。今は地元の人たちにひっそりと守られている感が強い。
▲風雲庵

▲風雲庵
第5番妙音寺(みょおおんじ)

 第5番札所妙音寺は、千曲市に戻る。あんずの里にあるお寺だが、本堂はかなり荒廃している。周辺は整備されているのに、本堂はベニヤ板で覆われている。ご本尊の十一面観世音菩薩は、近隣の同宗派のお寺禅透院(ぜんとういん)に疎開していた。禅透寺に向かうと、こちらはものすごく立派なお寺だった。十一面観世音菩薩のためにお堂も建てられており、寺院の栄枯盛衰を強く感じる。
▲荒廃著しい妙音寺

▲荒廃著しい妙音寺

▲禅透寺。右側に見えるお堂に十一面観世音菩薩が安置されていた

▲禅透院。右側に見えるお堂に十一面観世音菩薩が安置されていた
第6番観瀧寺(かんりゅうじ)

 第6番札所観瀧寺もあんずの里にある。こちらは仁王門を備え、茅葺屋根の本堂には大きな板に描かれた絵も掲げられ往時の繁栄の跡をうかがわせる。さらに観音像も三体。千手観音坐像、十一面観音菩薩立像、聖観音菩薩立像だ。残念ながら聖観音菩薩立像は何者かに持ち去られてしまったらしい。
▲観瀧寺本堂

▲観瀧寺本堂
第7番桑台院(そうだいいん)

 第7番札所桑台院は、再び松代に戻る。地蔵峠に向かう県道35号線、松代市街の外れにある虫歌観音だ。本堂までは車でも行けるが、長い石段を踏みしめて登ってみた。こちらも大悲門と書かれた立派な門がある。大悲とは千手観音を指す言葉でもあるとおり、本尊は千手観世音菩薩だ。この桑台院は養蚕に深い関わりのある観音様だ。案内板には次のような民話が紹介されていた。

松代の町はずれ平林村で、養蚕を仕事にしていたひとりの若者がおりました。ある日のこと、別所や布引の観音様へお参りをしたあと地蔵峠へさしかかったところ、眼下の平林村の方から悲鳴にも似たうめき声が聞こえてきました。庭先に干してある繭の中のさなぎの苦しみの声でした。
若者は、自分たちの生気を潤してくれる蚕のさなぎの霊を慰めてやらねばと、近くの山腹に観音さまを安置しました。のちに虫歌観音と呼ばれ、養蚕家の人たちがこぞってお参りに訪れ、養蚕守護の観音堂として栄えました。

▲桑台院本堂

▲桑台院本堂
第8番西明寺(さいみょうじ)

 第8番札所西明寺は、長野市街に戻る。国道19号線、犀川の小田切ダムの横をグイグイと登っていく。どこに行くんだろうという山道に入っていくのだが、突然集落が現れる。10軒ほどの民家がある。その集落のてっぺんに西明寺はある。これだけの集落にしては立派なお堂が建っている。昭和18年に再建されたものと書かれているから、かつては、もっとこの集落が栄えていただろうことを想像させる。
▲西明寺本堂

▲西明寺本堂

 第9番蓑堂は須坂市になる。自宅近くまで戻ってきたので、今日はここまでとした。